祈りと、手当ての間に ── 私が僧侶からセラピストになった理由HIJIRIAN(聖庵)2025年3月17日読了時間: 2分更新日:3月20日 十数年前、私はある寺院で髪を剃り、僧侶として日々を過ごしていました。 「人々の苦しみを救うこと」を誓い、経を唱える毎日。しかしある時、私の心を根底から揺さぶる出来事が起きました。熱心にお参りされていた方が、自ら命を絶たれたこと。 長年、深く仏教を信仰されていた方が、深刻な心の病を患われたこと。言葉にできない衝撃と共に、私は深い淵に立たされました。答えを求めるかのように参加した『ヴィパッサナー瞑想』の修行。 そこで得たのは、知識ではなく、鮮烈な身体の感覚でした。 「心の痛みと、身体の痛みは、分かちがたく結びついている」 心が限界を迎える前に、身体から発している悲鳴がある。そこに直接手を差し伸べることができたなら──。その時、私の中でぼんやりと「手当て」が浮かび上がってきたのです。学びを深める中で出会ったアーユルヴェーダ。 かつての寺院には、病に苦しむ人々を癒やすための「治療院」が併設されていたこと。そして奈良時代の日本にも、その植物の智慧が伝えられていたことを知りました。 「これこそ、私がこれから取り組むべき道だ」そう確信した私は、僧侶からセラピストへの転身を決意しました。 都内、そして京都のアーユルヴェーダサロンで5年間の修練を重ね、さらにラグジュアリーホテルスパでの経験を通じて、アロマテラピーとアーユルヴェーダの本質が「植物による調和(ハーブセラピー)」であることを深く理解しました。そして今、そのすべての経験を携えて「HIJIRIAN(聖庵)」を開いています。言葉にならない悲しみや、理屈では解けない身体の不調。 かつての私が無力感の中で見出した「植物の力」と「触れる癒やし」が、今のあなたの助けになることを願っています。 HIJIRIAN(聖庵)は、背負っている重たいものをひとつひとつ手放し、心と身体の両方を休ませて、本来の自分へと還るための場所。 本当に辛いことって人には話せなかったりします。でもそれでいいのです。お身体を休めにいらしてください。 HIJIRIAN(聖庵) 田所 聖妙
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